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宝島社 【不健全図書指定】処分取り消し請求訴訟

2000年11月29日発端,2004年6月30日控訴審敗訴
2004年9月1日更新


東京都がおこなっている不健全図書指定。
書籍(現在は雑誌のみ)を社会的通念上によって判断し,不健全なる書籍に対する警告的条例
但し,その威力は流通を事実上ストップさせられる恐るべき法です。

本裁判は宝島社の【DOS/V user】【遊ぶインターネット】の2誌が不健全図書指定をされたことに
対して不服とした宝島社の処分取り消し請求の裁判です。
ちなみに,上記の2誌は現在,事実上廃刊(休刊)に追い込まれています。

この裁判において東京都の不健全図書指定の問題点が浮き彫りになったといっても
過言ではないでしょう。

1.不健全図書指定の主旨?

 今回問題としているのは東京都の【不健全図書指定】における条例です。
つまり,自殺や犯罪,性的興奮などを助長することで青少年の健全な育成に適当じゃないと判断される図書類(玩具も含む)にたいして 指定することができる条例です。
 ちなみに,出版関係の自主規制により,指定は1回目は警告,連続2回目は区分けシール(成人向け), 連続3回目はコンビニ販売の禁止・取次ぎの禁止等事実上の出版停止処分となります。 1年通算5回指定を受けた場合も連続3回受けた時と同じ処分となります。

 児ポ法・青環法などで散々言いましたが,またここでも言わなければなりません。

明確な基準がない

 相変わらずというべきでしょうか。確かに,基準を作るのは至難の業でしょう。

 実際この条例の主旨自体は分からないわけではないのです。 しかし,この条例はこのページで紹介している条例・法律の類は 大体がそうですが一歩間違えば,憲法第21条で保証されている表現の自由に抵触しかねない規制なのです。 だからこそ慎重に行かなければならないのです。

以下の項目では今回の裁判で浮き彫りになった問題点について私なり考えてみたものです。
裁判に関する詳細を知りたい方は,申し訳ありませんが
こちらのHP 【Noといえる宝島】を参考にしてください。


2.基準・論拠は?

 今回の裁判で分かった基準・論拠に関する問題点で特に重要だと思ったのは以下の4点です。

   T.不健全図書指定にあたって具体的にどうのような判断をしたのかが記録に残っていない
   U.審査基準や審査方法など明確な基準・方法示す書類が存在しない
   V.担当者や知事が代わるごとに審査基準が変わってしまう
   W.初期審査する人間は3人

 まず,問題の1つ目は具体的な判断根拠・理由が記録残っていないため,今回のような裁判になっても 知らぬ存ぜぬハッキリせぬが通ってしまうことです。 もし,何らかのミスをしたとしても,これでは責任問題になりにくく,いくらでも言い逃れが出来てしまいます。 パルメザンチーズみたいなものです。しかもこの問題は2つ目の問題につながります。

 2つ目の問題は明確な審査基準や方法を示す書類が存在しないということです。 当り前です。1つ目の問題から分かるように過去どのような基準で判断したのかなど 記録を残さないため,最初からない以上,これから先も,審査基準や方法を示すものが生まれるわけありません。 いつまでたっても,曖昧なまま。改善しようとする兆しすら見えません。そして,この問題は恐るべき第3の問題を生み出します。

 3つ目の問題の怖さは担当者や知事が代わるごとに審査基準が変わってしまうことです。 当然ですね。上記2つの問題から分かるように,【不健全図書指定】という入れ物を作っただけで 何を入れるべきか入れざるべきかどう入れるべきかなど何も決められてないのですから。 経験と主観だけで判断されつづける以上,この問題は必然的に起こってしまいます。

 更に,補足的ですが4つ目の問題として,最初3人(この人数を多いと取るか少ないと取るかは人それぞれ) で120〜200誌から不健全だという雑誌にアタリをつけるということです。 20人30人いるのならいざ知らず,3人でやるということは一人が何らか判断ミスをしてもそれを戒められるのはたった2人 ということになります。ここでも,先の基準の無さ響いてきています。

 以上4つの問題点から,この条例における基準論拠は極めて曖昧なだけでなく, 法・条例を執行する存在価値を問わざるを得ないほど杜撰なものといえるでしょう。
 私としては,このような情けない状態で下された【不健全図書指定】の餌食になった宝島社他各社の方々が納得がいかないと 文句をいうのも致し方ないと思います(中には捕まって当然な方々もおられたかもしれませんが)。

 裁判中も宝島社側は,最初から最後までこの不明瞭な基準をハッキリさせようとしたようですが, 見事最後まで東京都側は逃げ切ったようです。
まるで,カンペでも読んでるかのように条例条文の一部を繰り返すだけだったように感じました。 このような態度は行政に不信感を募らせるだけではないのでしょうか?


3.法の重み

 今回の裁判で争点になった1つに行政処分か否かということがありました。

 というのも行政処分としてハッキリ認定されたなら,憲法31条で保障されている 「適正な手続的処遇を受ける権利」の重要な要素である「理由の明示」「聴聞弁明の機会」が 最低限保障されなければならないからです。つまり,先に述べたような曖昧さは許されないのです。 例え,曖昧さがあったならばそれを白日の元に晒さなければならないのです。

 というか先に明らかなように,ほとんど記録が残っていない(残っているのは議事録のみ)為, 行政処分として認めるわけにはいかないという事情は個人的にはわかりますが, 公正をきすべき行政としては認められません。

 確かに,【不健全図書指定】自体に一般の流通を止めるような罰則は明記されていません。 しかし,明らかに,この法律に連動させた業界の自主規制が現実に存在します。 結果的に,この条例は流通禁止など極めて強い処分を意味する条例なのです。

 そうでありながら,基準を明確にしない上,相手側の弁明すら聞き入れようとしない態度は誰であろうと 納得できるものではありません。
まして,流通禁止処分ということは必然的に雑誌の廃刊を意味し,そこで働く多数の人達と その人たちの家族全ての人生に大きな影響を与えるものです。

 つまり,この条例の実行した時に大きな影響をもつ以上は,実行する時は細心の注意を払う必要があるのです。 子供がするような『間違えました』では済まされない重みがあります。

 確かに,子供の為に良い環境を作ろうという考えは素晴らしいです。 しかし,現実に東京都がやっていることは皮肉にも子供を養う親を,理由をハッキリさせず苦しめることなのです。 しかも,客観的に納得できる理由があって苦しむのと,理由もわからず苦しむのでは天と地ほど精神的に違いがあります。

東京都がやっていることは
今それを糧にして生きている人とその関係者
そして,これからその業界に進むであろう人達
全ての人生を大きく狂わせる要素を持っているのです。

 私はまだ学生ですし,結婚もしてなけりゃ子供も持ってこともないし,法律の専門家でもありません。 だから,親が子を思う気持ちはまだ完全にはわからないし,法学的な合理性とか合憲性とかは尚更わかりません。 しかし,親が苦しめられることで苦しむ子供の気持ちはわかります。今でも,まだ親のスネカジリですから。

  事実,もし私の親が出版の仕事をやっていて今回のようなことで職を追われたならば,私は今の学校を辞めて, 実家に帰らなければならないでしょう。そういうことが現に起こりうるわけです。

東京都の人たちも,そして,これらの条例・法律を作る人たちも
そこを考えて欲しいのです。
自分達が作る法の重みを,自分達が施行する法の影響力を。

だからこそ,誰もが納得できる(若しくはせざるを得ない),
思い込みなど主観に揺れることの無い
明確な基準が必要なのです。


4.裁判の結末,そして…

 で,当の裁判についてなのですが,地方裁判は2000年11月29日宝島社の処分取り消し請求訴訟に始まり, 2003年9月25日に宝島社の地方裁敗訴,10月7日宝島社の控訴・翌年2004年6月30日の控訴審敗訴という経緯となっています。

この後,宝島社がどうするのかは分かりませんが,この裁判は決して小さな出来事ではなかったように思われます。

この裁判が後々に影を落とすことにならないことを願うばかりです。

この条例は今のままでは『施行する側の責任が伴わないシステムでありながら,対象となる存在には効力が 存在する』という条例としては致命的な欠陥を抱えているように思います。
現在の世の中で,責任が伴わないの行動で,人の行動を制限することが許されるのは赤ん坊ぐらいではないのでしょうか?

WRITTEN BY 帆葉 佳一

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